8月6日〜ヒロシマの復興を知る〜
Donnerstag,4 August 今日は真面目に歴史の話です。
それも哀しい歴史。
幼いころから、同居していた亡き祖父母には
戦争のときの様子をよく話してもらっていました。
祖父からは、陸軍での戦いぶりを生々しく語ってもらったこともあります。
確かこんな会話もありました。
「広島に原爆が落ちたときはわかった?」と私が聞くと
「“ピカドン”が落ちたとき、そういやぁ(そう言えば)
向こうの空がパァッ!とあこう(赤く)なったような気がしたのう。」と答える祖母。
原爆投下のあった広島市から祖母や私の住むところまでは
直線距離で40kmはあるし、その間にはいくつもの山が連なっているので
本当にあのときに空の変化を目にしたのか定かではないんだと思いますが。。。
身近な人から、今では貴重な戦争体験を聞けて良かったなと思います。
亡き祖父母との話を思い返すと、懐かしくて涙が出てきます。
昨年のこと、『永遠の0』という戦争を題材にした小説を読んでから
あ〜もっともっと祖父母から戦争の話を聞きたかったなぁ、と悔しくも思いました。
明後日は広島の原爆記念日ですし
戦争の時代を生きた亡き祖父母を思い出しながら
広島の原爆について綴ってみたいと思います。
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あれから66年。

写真は、ユネスコの世界遺産(文化遺産)として1966年に登録された
広島原爆ドーム
二度と同じような悲劇が起こらないように”
との戒めや願いをこめ「負の世界遺産」とも呼ばれる。
(例えば、ポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所などもそれに当たる)
1945年(昭和20年)8月6日(月)午前8時15分
投下された原子爆弾リトルボーイは上空580メートルで炸裂。
広島県広島市の朝、一瞬にして街が消えた。
焼け野原に残されたのは瀕死でさまよう沢山の人々。
標的となったのは市内ほぼ中央に位置する
T字形の相生橋である。(↓写真の一番上にある橋)

被爆前⇒被爆後

この一発の兵器により
当時の広島市の人口35万人(推定)のうち
約14万人が死亡したとされている。
人類史上初めて核兵器が実戦使用されたものである。
【原爆投下の背景と経緯】
第二次世界大戦末期のドイツ・ポツダムにて開かれた会談により
日本に対して発せられた「ポツダム宣言」。
←↓ツェツィリエーンホフ宮殿(ポツダム会談の会場)の写真
★旅行日記はコチラこの会談にも出席していた第33代アメリカ合衆国大統領トルーマンの
「広島・小倉・長崎のいずれかの都市に8月3日以降の目視爆撃可能な天候の日に
『特殊爆弾』を投下するべし」という7月25日付け大統領令を受け
アメリカ軍B-29(エノラ・ゲイ)は、6日に広島、9日には長崎へ原爆投下を実行した。
なぜ「原爆投下」に至ったのかは結局のところ明らかにはなっていないが
考えられる説には主に以下3通りがある。
●日本本土での直接戦(本土決戦)を避け、早期に決着させるために
原子爆弾が使用されたという説。〜アメリカ政府公式説〜
●第二次世界大戦後の世界覇権を狙うアメリカが、原子爆弾を実戦使用することにより
その国力・軍事力を世界に誇示、併せてその放射線障害の人体実験を行うためであった
という説。
●当時の日本軍のアジア支配への報復的措置として原子爆弾が投下されたという説。
等がある。
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どれも当たってそう。。。
原爆投下後のアメリカ側の対応がどんなだったかを知ると
2番目なんてまさに適してる気がしますね。
文章が長くなってしまったけど、この辺で1つの動画をご紹介します。
8月6日の広島原爆の日が近づくと、毎年このような番組が放映されていますが
これは数年前のものです。
6−1
6−2 【動画】
6−3 【動画】
6−4 【動画】
6−5 【動画】
6−6 【動画】
今年3月、東日本大震災の勃発後に福島で原発事故が起こりました。
収束に向けて電力会社や専門家、政府はあれこれ頑張っているようですが
これは現在も人々を脅かす進行形の大事故なのですよね。
またもや人間のつくったものに
命やそれまで築きあげた生活を脅かされるなんて・・・
人々は
放射線被曝を避けるため住み慣れた土地を去ったり
被曝することへの恐怖と戦いながら日々の生活を送ったり
風評被害に苦しんだり。
あの日から半年が経とうというのに、完全なる復興までの道程は
まだまだ険しいものがありそうですよね。
そんな日本の様子をニュースで知るうちに
「広島が原爆投下された後って、どんな風に復興していったんだろう?」
という疑問が沸いてきたのでちょっと調べてみました。
そして、この動画に辿り着いたのです。
番組の内容を少し書き出しておきます。
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広島の被爆後、そこには70年草木が生えず、人は住めないといわれた。
しかし、人々はそこに種を撒き、家族の遺骨を拾った土地にバラックを建てた。
被爆直後の様子は殆ど記録に残ってはいないが、被爆5日後の衛星写真には
枯れた大地に築かれたバラックや救護テントがいくつも写っていたのだ。
被爆者たちは、アメリカ側の対応には怒りに震えた。
彼らアメリカ軍の関心が復興支援ではなく原爆の威力の方へ向いていたからだ。
原爆投下前後の航空写真や被爆者たちの写真が残されているのも
それを確かめるため。治療ではなく、身体観察のために被爆者を集めた。
また、広島・長崎が投下場所として選ばれたのは、それを確かめるためでもあった。
当時、既に東京など大都市は空襲により壊滅的被害を受けており、原爆の破壊力を
確認するには適していなかったらしい。
(勿論、アメリカの人々が皆そうであったわけではなく、中にはこれらの対応を
批判する者や復興支援に関わる者もあった。)
被爆した広島では、市の職員が中心となって街づくりが開始された。
世界中の綺麗な都市の地図を手に入れて参考にした。
約2年後、焼け跡には家が建ち、橋は再建された。
こうして広島は復興していったのだ。

(Wikipediaより)
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日本って、日本人ってすごいですよね。
しかし
こんな哀しい歴史をもうこれ以上繰り返さないように・・と願わずにはいられません。
黙祷。
【広島市の地図】
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